1.Gympie

脱帽。憧れのアラウンド・セブンティ!

 

初のWWOOF先は、ブリスベンから北へ約160キロメートル、ギンピー近郊の小さな村だった。

 

ブリスベンからギンピーまでは、長距離バスを乗り継いで行く。乗り継ぎのために下車した小さなバス停は、周りに何もない寂しいところだ。周囲が徐々に暗くなり始めるなか、そんな人里離れたバス停で、まだ慣れないバックパックを相方にひとりぽつんと待つ。

 

だが、待てど暮らせどバスは来ない。10分、20分、30分…、刻々と時間は過ぎてゆく。長距離チケットを予約して買っているのにも関わらず、何の連絡もないのだ。

 

ついに、予定時刻から1時間以上が経過。“ああ。本当にこんな小さなバス停に長距離バスなんて来るんだろうか。もう、今日は来ないんじゃ…。ど、どうしよう…。”途方に暮れ始めたその頃、そのバスは何事もなかったかのように到着した。

 

乗り込むと、不機嫌なドライバーはチケットの身元確認のために私にパスポートの提示を要求はすれど、バスの遅延についてはひとことの説明もない。まるで定刻に着いたとでも言わんばかりに、そのまま扉を閉めて出発したのだった。

「明るい時間に着いてね」と言われて予約したバスだったのに、道中、すでに外は真っ暗。だ、大丈夫なんだろうか…。とりあえず、バスが遅れていることをホストに連絡。すると「そうなの、困ったわねぇ。遅すぎるから、今日は街に宿を見つけて泊まってくれる?」と、ホスト。

 

おお、そうきたか…。オーケーと言って電話は切ったものの、安宿が立ち並ぶシティならともかく、初めて訪れる小さなタウンでこの時間から泊まれるところなんて見つかるんだろうか。初日にして、まさかの野宿?と、普段は図太い私もさすがに心細くなる。リサーチしようにも携帯の充電は切れそうだし、そもそも電波が途切れ途切れだ。

 

ええと、こういうときは…そう、もう成り行きに任せるしかない。着いてから歩き回って人に聞きまくればきっとどうにかなるはずだ。というか、今考えてもしかたがない。そんな思考回路で、結局しばらく放心状態に落ちいっていると、さっきのホストから再び電話がかかってきた。

 

「あ、マサコ? 今どこなの?」と聞かれ、地理に無知な私は近くの乗客に慌てて現在地を訪ねて電話に応える。「そう、オーケー。バス停に着いたらそこで待ってて。やっぱり迎えに行くわ!」

 

…やった!

 

ということで最終的には事なきを得たのだが、闇の迫り来る中、来るかどうかわからないバスを待ち続けた時間、そして今夜の宿探しに途方に暮れた時間を思い、「オーストラリアのバスは信用しない」と心に誓ったのはこの日のことだった。

 


さて、気を取り直してWWOOF生活をスタート。こちらのホストは60代後半の奥さんサンドラと、76歳を迎えるアンディ。バスの電話ではどうなることかと思ったけれど、実際ともに過ごしてみれば、憧れてしまうほど素敵なご夫婦だった。

 

ふたりとも旅行が好きで、つい昨年も中国旅行へ。さらに子どもたちが小学生の頃は、自分たちで勉強を教えながら2年間、キャラバンでオーストラリアを旅していたという。枠にとらわれないその自由なスタイルが、私にはとてもまぶしく映る。

 

そして、今もそのアクティブさは健在。まず私が驚いたのは、到着した翌日の午後、サンドラが自宅を解放して近所の同世代を集めたコンピューターセミナーを開いていたことだ。

 

 木々に囲まれたのどかな田舎の家のリビングで、67歳の奥さん、サンドラが「サーバーとは、ハードとソフトとは…」という基礎から丁寧に、しかもときにYoutubeなどの解説ビデオなどを活用しながら同世代の仲間に説明してゆく。

 

むしろ、何の事前リサーチもなしにこの講義をしろと言われたら、日本語でも私には自信がない。さらに座学の後は、参加者にパソコンに触ってもらいながら実践的に解説。そして参加者の方々も「まったくパソコンに触ったことがない」というわけではなく、メールのやり取りなどは日常的に行っていて、もっと体系的にコンピュータを理解したいという学習意欲を持っているのだ。「年だから」「田舎だから」と遠ざけず、新しいものを積極的に学ぼうとするその熱意に感服。自分もこうありたいと思う。

 

サンドラの行動力、社交力に驚かされたのはこればかりではない。ある日、サンドラと一緒に近くの街のショッピングセンターへ行き、スーパー前のベンチで待ち合わせをした。

 

サンドラを待つ間、近くに置いてあったフリーのローカル新聞をぱらぱらと何気なくめくっていると…、あ、あれ? なんだか見覚えある満面の笑顔が新聞に載っている。

 

思わず目をとめ、よくよくその写真と記事を見てみると、紛れもなくそれはサンドラその人の顔写真で、彼女が企画しているストリート・ガレージセールの告知記事だった。

 

ガレージセールとはその名の通り、家の中で不要になった家具や雑貨などを、ガレージや庭先で売るフリーマーケットのようなもの。サンドラは5年前からこのガレージセールを、自分の家だけで個別にやるのではなく、ストリート全体を巻き込んだ1日がかりのイベントとして開催しようと思いつき、企画・実行してきたのだ。地元のミュージシャンなども招き、お祭り的要素もミックスした取り組みである。

 

聞けば、今年分の告知をすでに各媒体にも送っていて、それが今回の新聞にも掲載されたのだという。もともと日本ではPRの仕事をしていた私は、サンドラの発想力や社交力、そして何より、それを日々の農作業や家事と並行しながら軽々とやっているパワフルさの前に、それはそれは気持ちよく完敗した。

 

ホストファザーのアンディも抜群に格好いい。スコットランド出身の彼はもともと船のエンジニアで、船でいろいろと世界を回っているうちにオーストラリアが気に入り、オーストラリアで暮らして40年以上になるという。

 

技術者というだけあって、今も自宅に併設した本格的な工場を持ち、金属加工をしたり、ペイントをしたり、色々なお酒を作ったりと何でも自分の手でやってしまう。

 

さらには料理もうまい。サンドラが外出していたとき、アンディが「これは僕のおふくろの味なんだ」と言ってディナーを作ってくれたのだが、手際はいいし味は美味しいし、また色合いも美しいしで、私は本当に感動してしまった。

 

そして、アンディの言葉には重みがあった。夜ご飯を食べながら、さりげない会話の中でふと出てくるそれらの言葉たちを、私はひそかに「アンディ語録」として心に刻んでいた。

 

アンディ語録、仕事編は、たとえばこんな感じだ。

 

Slàinte mhath!(スランジーバ)は、スコットランドの乾杯
Slàinte mhath!(スランジーバ)は、スコットランドの乾杯

 

「僕はね、自分の仕事が本当に自分に合っていて幸せだったと思うんだ。今でも、『ねえアンディ、これ動かなくなっちゃったんだけど、直る?』って誰かが持ってきて、そういうのを直して。それが楽しくてね。『リタイアしたら、仕事で培ってきた知識もなくなる』っていう人もいるけどね、僕はそうは思わない。その知識は、今でもここにあるんだ(自分の頭を指し示しながら)。世の中には、『ああ、仕事…。嫌だなぁ』と言う人もいるけれど、もし嫌だと思うなら、仕事を変えるべきだよ」。

 

また、あるときは世界中を旅してきたエピソードの後に、こんなふうに語った。「世界の色々なところを旅してきて、わかったんだ。人々は、人々だ。どこへ行っても、人々はとてもフレンドリーだった。問題は政治だけだ」。少ししわがれた声で、目に確かな力をこめ、ゆっくりと語るアンディの「People are people.」というフレーズが、今でも耳に残って離れない。 

 

当時は2012年3月末。日本の原発問題についてアンディが話していたこともあった。「私は、核エネルギーには反対だ」。彼ははっきりと言い切った。「フクシマは…、本当に悲しいことだよ。私はね、自分のことなんて別に心配しちゃいないんだ。でも子どもや孫たちのことを考えると…、ただ彼らの未来が心配だ。年をとって、子どもを持ち、孫をもつようになると、未来のことをもっとずっと考えるようになるんだよ」。

 

英語のつたない異国の若者を決して見下すことなく、私にも聞き取りやすいようにひとことひとことじっくりと、自分の考えを語ってくれるアンディ。

 

アルコール作り中
アルコール作り中

黙っていれば優しいおじいちゃん、というアンディだが、自宅に併設した工場に立てば何でも作ってしまうし、それにタイムマネジメントの感覚も尊敬に値するほどだ。

 

ある日、サンドラが電車の長旅から帰ってくるのを駅まで迎えに行ったのだが、家を出たのはその2時間前ほどだっただろうか。アンディの段取りは、こうだ。

 

車で街まで出て行き、通り道にペンキの店で用事を済ませ、スーパーで買い物を済ませ、その後、昼食用に少し離れた場所にある店まで行ってお気に入りのフィッシュ&チップスを購入し、そこからまた運転し、サンドラを迎える駅について、ほぼ電車の到着時刻、ぴたり(結局、電車の方が大幅に遅延していたけれど笑)。

 

常に時計をチェックしてせかせかと動いていたわけでもないのに、この見事な時間管理の感覚にこれまたあっぱれと思ったのだった。日本のビジネス社会が「効率、合理化」とせきたてられているのとはまったく異種の、日常生活で身についた無理のない、それでいて生活リズムをここちよく保つ時間感覚。自分たちでものを作ったり、日々の生活をマネジメントしてゆく力。そんな生活力、生きる力がしっかりと備わっているなぁ、と何度も感動させられる機会があった。

 

 

日中働いているときも、サンドラは私以上にきびきびと雑草を抜いてゆくし、植物に有害なある種の巨大ガエルを発見するとその片足を素手でむんずと掴み、固い地面にたたきつけて寸分の狂いもなく見事に殺す。アンディはアンディで、汗だくになりながら黙々とチェーンソーを使いこなして豪快に木を切っていたりする。私のアラ・セブ(アラウンド・セブンティのつもり)のイメージは、このWWOOF1件目にしてがらがらと音を立てて崩壊したのだった。

 

日中は太陽のもとで汗をかいて働き、夕方からは毎日白ワインを片手にゆったりとくつろぐ。毎日庭から採ってきたパッション・フルーツを食べ、休日にはこれまた庭で採れたイチゴをシャンパンに浮かべて優雅な朝食。自然と時間の楽しみ方を知り尽くしたふたりの本当に豊かな暮らしが、そこにはあった。

 

元気で楽しそうなのは、彼らばかりではない。サンドラは近隣(といっても、向こうの「近所」は車で移動する距離だが)の同世代とガーデニング・グループというのをやっていて、定期的に誰かの家に集まり、ガーデニングに関する情報交換や苗や種の交換などを行っている。

 

私も一度参加させてもらったのだが、みな手作りのお菓子を持ち寄って和やかに、だが実際にミミズファームの見学や庭の植物の見学、またそれぞれ調べてきた知恵の交換などを熱心にしていて、とてもいい雰囲気だった。

 

東京にいたころはこういったいわゆる“コミュニティ”活動は溢れていたけれど、若い世代だけのものではなく、またもっと肩肘をはらずに、年を重ねてもこうやって同じ趣味のもと集まって情報交換をする場があるのはとても素敵だと思う。

 


ところで私はこのWWOOF第1弾を通して、ワーホリの自分にとってWWOOFは「24時間100%英語環境、現地の生活を学ぶ、自然に触れる、支出ゼロ」という自分の願望を、たった数時間日々のお手伝いをするだけですべて叶える夢のようなシステムであることに気づく(その労働さえ、考えようによっては文化を学ぶ機会なのだ)。

 

ワーキングホリデーでオーストラリアに来た人の中には、1日中100%の英語環境を求めている人も多いだろう。そして、「現地の家にホームステイしたいけど、資金的に…」とあきらめている私のような人も多いはず。それが、家族の一員として日々お手伝いをするだけで、住む場所も、ご飯も、英語環境もローカル文化もすべて手に入るなんて驚きだった。

 

日本での学生時代、「見知らぬ外国でのホームステイは高い、ムリ…と悶々としていた過去の自分に教えてあげたい。だってこの方法を知っていれば、1週間でも1ヵ月でも1年でも、たった数千円の年間登録料だけで完全な現地ホームステイができたのだ。なんてこった。

 

いや、きっとまだこの方法を知らずにあきらめかけている過去の自分のような人が、日本にも、オーストラリアにもいるはずだ!彼らに伝えなきゃ!と、妙な使命感にかられてこの記事を書いている(笑)。そしてそんな友達に心当たりがあったら、ぜひ教えてあげてほしい。

 

サンドラがイタリア語レッスンにいっている間に散歩したレインボー・ビーチ。
サンドラがイタリア語レッスンにいっている間に散歩したレインボー・ビーチ。