4.Crystal Waters

雑草と闘い、そして雑草と闘った1週間

次に訪れたのは1988年に設立された世界初のパーマカルチャー・ビレッジ、クリスタル・ウォーターズ。ユードロからさらに少々南下したマレニーという街から、約26キロメートルほどのところに位置する。

 

マレニーまでは親切なユードロのホスト、アーノーが送ってくれた。しかし、マレニーからクリスタル・ウォーターズまで公共の交通手段はない。ホストのメールによれば「マレニーの●●っていうオーガニックショップなら、クリスタルウォータズの住人がいることもあるから、そこで住人を見つけてヒッチハイクしてくるといいよ」(えっ!)。

 

半信半疑でそのオーガニックショップへ行き、友人と手分けして数人に声をかけてみるも、やはりそう簡単に住人は見つからない。それどころか、その方面へ向かう車も見つからない。しばらく途方にくれていると、1人の女性が「何か手伝えることある?」と声をかけてくれた。

 

「クリスタルウォーターズに行く方、誰か知っていますか?私たちそこへ行く車を探しているんです」と聞いてみるが、彼女たちもまたその方面ではないようだ。そうですよね、サンキューと笑顔を送ると、後ろに連れていた1人のご年配の女性を紹介された。なんだかその方は、顔立ちがアジアっぽい、それもどちらかというと日本人っぽいような…。

 


「私の母なんです」。そういえばどこかハーフっぽい顔立ちとも思えるその娘さん、ジョーが口を開いた。「母は日本人で、広島出身です。名前はMasakoといいます」と、サラサラと英語で紹介されるなか、私は思わず耳を疑った。私と同じ名前。

 

Masakoさんは、お年で言うと80歳くらいだろうか。笑顔のほがらかなジョーに比べると、感情の起伏を表に出さず、すこし難しいような表情をしていたように思う。最近は物忘れをするのだと、後に娘さんは語っていた。

 

Masakoさんは、もうずっとこちらで暮らしていて、日本語をしゃべらなくなっていた。日本語を投げかけても反応はなかったから、聞きとって理解することも今はないのかもしれない。

 

黙ったままのMasakoさんに、ジョーが私たちを紹介すると、彼女は口を開いた。「日本人なの?私は広島から来たのよ。広島の原爆、知ってる?たくさんの人々が殺されたの」と、まっすぐに目を見つめられて、どこかアジア風味の英語で話しかけられ、少し会話をする。

 

結局、ジョーは「買い物を済ませた後でよければ、クリスタルウォーターズまで載せて行ってあげる」と言ってくれた。彼女たちの買い物が終わり、車にお邪魔して、まずは買い物の荷物をおきに彼女たちの自宅へ向かう。

 

車のなかでジョーから聞いた話では、Masakoさんの父親は広島の原爆資料館設立にとてもゆかりの深い方だった。伺ったShogo Nagaokaという名前を後に調べてみると、その方は原爆投下の翌日から被爆瓦や石などの資料を収集しつづけ、1955年の資料館開館と同時に初代館長となった長岡省吾さんという方だった。62年に館長を退職後も、73年に亡くなるまでずっと、原爆被害の研究を続けたという。

 

この方なくして、世界中から人が訪れるあの原爆資料館の存在はない。資料館の生みの親、育ての親であるShogoさんの娘さんに、このオーストラリアの田舎町で出会うことになると、だれが予想しただろう。

 

どうぞ、と少しだけ中へ招いていただいたご自宅の中には、白黒の写真がたくさん飾られていた。若かりし頃のMasakoさんの写真や、Shogoさんの写真もあった。歴史がつまっている、そう感じさせる空間だった。

 

Masakoさんがどういう経緯でだんなさんに出会って渡豪したのか、そういった深い話はしなかった。たった数時間、ときをともにしただけの出会いだったけれど、彼女の時代にこの異国へ移り住み、根を下ろして生きてゆこうと決断した強さを思う。

 

ところで、当初私たちは知らなかったのだが、実はマレニーからクリスタルウォーターズの距離はかなりの長距離だった。それにも関わらず、村の入り口までジョーはしっかりと私たちを送り届けてくれたのだった。


 

しかし、着いたのは日曜日。休息日である日曜日は、コミュニティセンターも店も閉まっていて、ビレッジの入り口にはひとっこひとりいない。運良く出会えた住人に事情を話すと、私たちをトラックに乗せてホストの家まで載せて行ってくれた。

 

ここで、クリスタルウォーターズについて少しだけ説明を。先述したとおり、ここは1988年に設立された、世界初のパーマカルチャー・ビレッジだ。ビレッジを構成する約650エーカー(東京ディズニーランド約5個分)の土地のうち、14パーセントが83世帯用の住宅エリアとなっていて、200人以上の住人がいる。また6パーセントはカフェやパン屋などの商業施設やインフォメーションセンター、ビジター用のキャンプサイトなどとして協同組合が所有、そして残りの80%が森林やダムなどの共有地だ。

 

飲料用には各自雨水タンクを持ち、畑やトイレ、屋外活動用には川やダムから引いた水を使用。また野生の動植物を守るため、犬や猫、外来種などの持ち込みは禁止されている。

 

とにかく徹底してワイルドライフが守られているので、一心不乱に草取りをしていると、カンガルーやワラビーがぴょんぴょんと近くを横切っていくことも日常だ。

 

ワラビーが庭の草をむしゃむしゃと食べていることもよくあるし、そんなときにはそーっと近づいていけば、こちらをチラ見しつつも逃げなかったりする。彼らは守られた環境で、安心して暮らしているのかもしれない。

 

ここでのホストは、旅行者向けの宿泊施設を営んでいる若いご夫婦。印象では、30代くらいだろうか。夫のスコットは、アボリジニの伝統楽器として有名な「ディジュリドゥ」を、スライドして音階を変えられるようにした「スライド・ディジュリドゥ」の販売を行っていたり、一方で妻のカイリーもセラピストであるなど複数の顔を持つ。

 

旅行者用の宿を営んでいるということもあり、ある日は当時ステイしていた私たちWWOOFer3人を連れて、車でクリスタル・ウォーターズ内を回りながらガイド・ツアーもしてくれた。

 

豊かな自然、共生するカンガルーやワラビー、循環型の水路、住民の集う休日のコミュニティ・マーケットや映画ナイト。よくデザインされた魅力的なビレッジだが、問題点も耳にした。

 

コミュニティ内の会議のやり方や、住人の考え方の差異、高齢化。また、よくも悪くも街からはある程度隔離された場所。ゲストハウスを経営しても、思ったほどに客が訪れず、一方で必需品を購入するため街まで出るガソリン代は高額だ。

 

そう語った人の表情は、ここでの生活に少し疲れているように見えた。もちろん、それはほんの一面。どこのどんな場所で暮らそうと少なからず問題はあるものだし、ここでの暮らしにベストマッチする人もいるだろう。ただ、緑豊かな森の中の暮らし、笑顔溢れるコミュニティ、世界初のパーマカルチャービレッジ!と、理想だけを大きく膨らませて、いろいろな現実に対応できる柔軟性なしに移住するということは色々な面で難しいだろうな、と考えるようになった。

 

“理想と現実”については、武者修行のような草取り1週間からも学びを得た。ちょうど次の週に敷地の視察があるというので、私たちの仕事はひたすらに家のガーデンの雑草抜きだったのだが、“ワイルドライフ(野生)”のすさまじいこと。

 

まず、先にも述べたようにオーストラリアの田舎の「庭」は日本の自然公園並みに広い。そして、そのすべてに果てしなく雑草がはびこっている。抜いても、掘り起こしても、まだまだ無限に続くかと思われるほど続く敷地と雑草。そして、仮にこの敷地のすべての雑草を抜き終えたとしても、また数週間後には、新たな雑草が生えてくる。終わりなき戦い、である。

 

さらに気づけばヒルやダニが体にくっついて吸血していたり、「ジャンピング・アーンツ」という噛まれると恐ろしく痛い巨大アリがその名の通りピョンピョン飛び跳ねていたり、ヘビや蜂にも注意しなければいけない。かわいらしいカンガルーやワラビーに出会えるばかりがワイルドライフではないのだ。

 

 

もともと私は、将来自分たちの食べる野菜くらいは庭で育てて暮らしたいな、などと妄想していたのだが、ここでの熾烈な草取りファイティングを通じて、もし将来家庭菜園やガーデンを作るとしても、絶対に最初は手を広げすぎず、身の丈にあった小さな庭で、自分たちの目の届く範囲でやろう、と思ったのだった。

 

そんなことを考えながら、絞れるほどに汗をだらだらとたらして炎天下で草を抜き、ときに鍬をふるいながらの作業。気が遠くなるその思考の中で、私は1ヵ所目のサンドラの場所を思い返していた。

 

エコ・ビレッジという冠もない、なんでもない小さな村に住み、近所の友人たちをしょっちゅう招いてお茶したり、知恵を分け合ったりしながらの生活。家の周りを囲む、目の届く大きさのガーデンで野菜やフルーツを育て、作れる物は自分たちで作り、でも便利なものは取り入れて暮らす。

 

なにより印象的なのは、その生活を送っている彼らの表情が明るくて豊かで、いきいきしていて、体の内側から輝いて楽しそうに見えたことだ。

 

特定のコミュニティやビレッジを作ることは、理念に共感する人々を集まりやすくする。ゼロの状態から理念を起こして実行した先人や、それを持続的に運営していく住人はすごいなぁ、と純粋に敬意を表する。でもその上で、私個人としては、大切なのは特定の場所やコミュニティに移り住むことだけじゃないな、とも感じるようになっていた。

 

パーマカルチャー・ビレッジに移り住んだから、すべての人が幸せになるというわけではない。どんな地であっても、自分たちのここちよい自然と文明のバランス感を探りながら、周りの人とのお茶を楽しみながら、そうして暮らしてゆくことが、幸せな表情を生み出すんじゃないか、と思えた。

 

むしろ下手に冠がない方が、最初から大きな理想を掲げすぎない分、私みたいな人間にはいいかもしれない。身の回りのことから、少しずつ。ひとつやってみて、上手く行ったら次のことに手を出してみる。そんな感じでちょうどいいバランスを探りたい。

 

カイリーが絞り立てのフレッシュミルクで作ってくれたカスタードのデザート。
カイリーが絞り立てのフレッシュミルクで作ってくれたカスタードのデザート。