6.Darwin

ヘビと野鳥とクロコダイル。でも一番恐いのは…。

フォグ・ダムの展望台へ向かう一本道。クロコダイルに要注意。
フォグ・ダムの展望台へ向かう一本道。クロコダイルに要注意。

 

冬の始まったスタンソープの寒さから逃げるように、大陸の北側、つまり赤道近くの常夏ダーウィンへ一気に飛んだ。

 

ダーウィン。当初は選択肢にすらなかった。ただWWOOF1ヵ所目のホスト、サンドラとアンディが昔そこへ住んでいたと聞き、「ダーウィンは多文化で、他とは違った雰囲気を持っているよ」と彼らが話してくれたこと、何よりアンディが「クロコダイル・ダンディ」の映画を見せてくれながら「本当のオーストラリアを知りたいなら、ノーザンテリトリーに行くべきさ!」と言ったことで、無性に気になってしまった。

 

今まで付き合ってきた自分の性質として、一度気になってしまったら行ってみないと後で絶対に後悔する。行った結果として特に感動しなかったり、むしろがっかりしたとしても、とりあえず行ってみて、自分で体感しなければ気が済まないのだ。だから飛んだ。人との出会いが、行動を変えてゆく。


むしろWWOOFを始めた時点では、12ヵ所見て合うところがあればそこにずっといればいい、くらいに考えていたのだ。自分でもこんなに点々とすることになるとは思っていなかった。

 

が、必要に迫られて点々と場所を移すうち、私はWWOOFという仕組み自体を楽しむようになっていた。WWOOFしながら、旅をする。観光地だけを見て通りすぎてゆくのではなく、その土地で暮らす人々の日常生活にお邪魔させてもらい、手伝って参加しながら、その家族や土地のカルチャーを知る。

 

人によるとは思うが、観光地よりも人々の生き方、暮らし方に興味がある私としては、理想の仕組みだった。次はどんな人に出会えるんだろう、どんな発見があるんだろうとわくわくした。

 

 

この日もそんな思いを持って、降り立ったダーウィン。空港で待ってくれていたのは、小柄なホストファザーのジェレミーと、長身のフランス人の若者のでこぼこコンビだった。

 

他にWWOOFerがいるとは聞いていなかったので、予想外のお出迎えメンバーに一瞬だけ動揺。聞けば彼は、私と同じ日からWWOOFerとして参加する、オリバーといった。"Hi"と握手して、うーん…身長2メートルくらいありそう、と見上げる。

 

スーパーに立ち寄ってホストの買い物を済ませ、タウンを離れて家へと向かう。少しだけ日本の夏を思わせる、湿気をおびた生ぬるい風を顔に受けながら、周りの地面が赤土なのを車窓から眺めて、ああ、ノーザンテリトリーに来たんだな、と思う。 

 

家の敷地にも、道端にも、そこら中にあるアリ塚(ちなみにこれは家の敷地)
家の敷地にも、道端にも、そこら中にあるアリ塚(ちなみにこれは家の敷地)

 

ステイ先は、B&B(ベッド&ブレックファースト。朝食付き宿泊施設)とオーガニックの果樹園を経営しているお宅だった。ホストは、知的かつユーモラスな空気を持つさきほどのジェレミーと、元看護師で穏やかな微笑みをたたえた奥さん、ヘザー。

 

ジェレミーは、ディズニー映画にでも出てきそうな“物知り博士”というイメージの知的な老紳士で、でもいつもポロシャツに短パン。早口で喋り方がリズミカルで、トットットットッといつもせわしなく動き回っているのに、たまに一時停止したりして、ゼンマイ式の人形みたいでどこか可愛らしい。

 

おっとりと優しく微笑み、穏やかな印象のヘザーは、実は旅行好きでとてもアクティブ。彼女が若い頃、1970年代にはネパールからヨーロッパまで6ヵ月かけてバスで陸路の旅をしたそうだ。アフガニスタン、イラン、イラクなど、私には未開の地ばかり。ジェレミーと出会ったのは、旅から帰ってからだったとか。

 

さらに、「今年の11月には友達と南米へ行く予定があるのよ」と嬉しそうに教えてくれた。「70歳になると旅行保険が一気に難しくなるから、69歳の今のうちに行っちゃおうと思って」と笑う。「女性や老人は、弱そうに見えると狙われやすいから、胸をはって堂々とした態度で行かないとね」とたくましいコメントを続けながら、相変わらず穏やかな笑みをたたえている。

 

フォグ・ダムにて。空に浮かぶ黒い点も、すべて野鳥。
フォグ・ダムにて。空に浮かぶ黒い点も、すべて野鳥。

 

彼らの家は、フォグ・ダムという、野鳥が集う自然保護区に近く、その管理もサポートしていた。家からフォグ・ダムまでは、2kmくらいだっただろうか。私も午後に時間があるときは、自転車でフォグ・ダムまで行って散策したり、野鳥が行き交う湿地を眺めてぼーっとしたりして過ごした。

 

フォグ・ダムで一番の展望台へと向かう水辺の一本道は、クロコダイルに襲われる危険性があるため、車でしか通過できない。道中、タイミングがあえば小さなクロコダイルが日光浴をしていたり、首長亀がよちよちと道路を横断していくのが見えたりもする。

 

家の敷地内でも、アリ塚として突如地面から巨大な赤土のタワーが出現していたり、夜道にヘビが潜んでいたり、野鳥が遊びに来たり、クジャクが常時歩いていたり、カンガルーが遠くの方を横切って行ったりと実にさまざまな種が共生している。

 

 

だがそんな中、私がもっとも苦しめられたのは他でもなく「蚊」だった。特に、果樹園で草取りやマルチング(根覆い)の作業をしていたとき、人生史上最高に蚊に刺された。

 

大量の蚊が周囲360度からぶわぁっと近寄ってきているのは気づいていたけれど、薄手とはいえ長袖に長ズボン、帽子もかぶって作業していたのでそれほど過剰に気にすることもないだろうと思っていた…のがすべての間違いだった。

 

深夜、あまりの痒さに目が覚める。全身が、狂うようにかゆい。熱い。腕、足、そして…おしり全体がかゆい!!地面の草取りなどで、人がしゃがんだ体勢を想像してほしい。そう、ズボンがおしりにぴたっと密着するのだ。強靭な針を持つダーウィンの蚊にとっては、人の視界にも入りにくいし、もはや刺したい放題だったらしい。

 

鏡でチェックしたら、漫画のように真っ赤になってボコボコ腫れて、まるで月のクレーターのようだ。もちろん、腕や足など、普段露出するところも赤く腫れてでこぼこ。脳裏に「クレーター人間」という文字が浮かんで苦笑する。うん、もはや女子じゃない(笑)。

 

南国フィジーで数ヵ月暮らしていたこともあるから、トロピカル地方の蚊は強い、ということは認識していたのに、まさかオーストラリアでフィジー以上に蚊に苦しめられるとは・・・人生わからない。

 

ところでここの働き方は、毎日ずっと同じことをやり続ける、という単調なものではなかった。ジェレミーたちは、私たちWWOOFerが飽きないよう、1日の中で時間帯を変えていろいろな仕事を組み合わせてくれた。

 

朝の1時間半くらいは果樹園でマルチングをして、10:30頃にモーニングティーで休憩。その後、オリバーはスキルを活かしてジェレミーとフォグ・ダムの募金箱を直したり、私は家の窓掃除をしたり、ペイントみたいなことをしたり、木々に肥料をやったり。果樹園から金柑をとってきて、マーマレード作りをしたこともあった。

 

 

またジェレミーは、フォグ・ダムについて、観光客に説明する音声ガイドを作るプロジェクトにも取り組んでいた。Q&A形式の流れでその音声ガイドを作るらしいのだが、PRや雑誌編集部に携わったことのある私の背景に興味を持ってくれ、ちょっとだけ手伝うことに。まずは、フォグ・ダムについてのあらましを聞く。

 

実はフォグ・ダムというのは、1950年代にライス・プロジェクト(米栽培計画)がこの地で持ち上がった際に作られた堰止湖。ジェレミーによると、ここで米を作って、アジア各国へ輸出しようという計画があったそうだ。

 

結局野鳥に米を食べられたり、それ以前に米作りのノウハウが十分ではなく、このプロジェクトは失敗に終わる。が、以降フォグ・ダムはシラサギ、コウノトリ、ジャビル、カササギガンなどが集う自然保護区となっているのだ。

 

そんなざっくりした部分を聞いて、“何も知らない状態の人”がフォグ・ダムを理解できるような流れで英語の質問案を考えていく。

 

一番初歩的な「フォグ・ダムはなぜできたのか?なぜフォグ・ダムという名前なのか?」から、「ライス・プロジェクトはいつ、なぜ始まり、なぜ失敗したのか」「田んぼになるはずだった場所は今どうなっているのか、それは見学できるのか」まで、理解しやすい順序を考えながら質問を出して行く。言語は違うけれど、内容的には、取材前に読者を想定しながら質問案を作って行くのと同じこと。

 

作ってみたよ、こんなんでどうかな、と差し出した私の質問案に黙って目を通したジェレミー。読み終えると、「エクセレント!まさにこれが僕の求めていたものだよ。以前プロジェクトのメンバー内でもやったんだけど、そのときは皆フォグ・ダムのことを知りすぎちゃっていてうまくいかなかったんだ。これなら一般の人にも理解しやすいね。さっそく皆にメールで共有する」とおだててくれた。

 

金属加工スキルのあるオリバーを見ながら、WWOOF中は常に自分の“何もできなさ(手に職のない圧倒的な無力さ)”に情けなさを感じていた私は、少しでも役に立てたらしいことがわかって“よかった!”と救われたような気持ちになる。

 

たいていは毎日が同じように過ぎてゆくけれど、1週間に1度くらいはホストが色々なところへ連れて行ってくれた。ダーウィンのタウンで開かれたギリシャ祭(Greek Festival)では、オリバーとビールを飲んで屋台のラム肉を食べて楽しみ、別の日に連れて行ってもらった自然保護団体のセミナーでは、セントラル・オーストラリアを旅して来た写真家が美しい写真の数々を見せながら講演してくれて、今度はセントラル・オーストラリアへの興味もむくむくと沸いてきた。

 

また、ヘザーのお姉さんが泊まりにきたときは、そのお姉さんと私たちWWOOFerふたりにジャンピング・クロコダイルのクルーズツアーをプレゼントしてくれた。間近でクロコダイルが餌をとらえる瞬間は、ツアーとわかっていてもなお迫力満点。リアル版ジャングルクルーズである。

 

 

さらに後半、スタンソープ時代にリンダのおかげで培われた“先の先を読んで動く働き方”を実行したら、ヘザーが予想以上に感動してくれ、「あなたは私たちが今まで受け入れた中で、ベストWWOOFerの1人だわ!」と嬉しい言葉をかけてくれた。その結果、私が次の土地へ去る数日前には、ジェレミーをガイドとしてダーウィン市内の半日観光ツアーまで提案してくれたのだ。本当にありがとう、ヘザー、ジェレミー、そして…師匠リンダ!

 

エミーア。すごい寝相…笑
エミーア。すごい寝相…笑

ありがたくその提案を受けた私は、その日、特別に午後だけお休みをもらった。車でタウンまではるばる出て、博物館の前で降ろしてもらう。博物館をじっくりと見学して、待ち合わせの閉館時刻に外へ出ると、床屋で散髪を済ませたジェレミーが車で駐車場へ入って来た。「髪切ったね!」と言うと、真面目な顔で「縮んだんだ!」と返すお茶目なジェレミー。ふふ、万国共通なんだなと思って笑う。

 

タウンを少し離れて、第2次世界大戦の史跡を見学。恥ずかしいことに、私はオーストラリアに来るまで、日本軍がダーウィンを空爆したという事実を知らなかった。まったく無警戒だったオーストラリア本土に対して、日本が行った最初にして最大規模の攻撃が、ここダーウィンの空襲。使用された弾薬量は、その前の真珠湾攻撃の総量を凌ぐと言われている。

 

私は、この史実をいつか学校で学んでいたのだろうか。そして、ただ忘れていただけなのだろうか。もしかしたらそうなのかもしれない。でもそれならそれで、サラッとだけ流されて教わる部分だったのだろう。正しい史実についての教科書問題が騒がれていたこともあるけれど、それは常に中国や朝鮮、東南アジアへ視線が注がれていたような気がする。

 

興味を持たないと、人は学ばない。私も以前はオーストラリアという国に対して、まったく興味を持っていなかったのだ。他の国に対しても、きっと同じことが言えるのだろう。旅をしていると、世の中にひとつずつ「自分ごと」が増えてゆく。

 

夕暮れ時、最後にジェレミーが連れて行ってくれたのは、ビーチだった。夕焼けの時刻を見計らったかのような、最高のシチュエーション。ジェレミーいわく、「ここが僕の思うダーウィンのベスト・スポット」だそうだ。人のまばらな静かな海の水面に、沈みゆく大きな太陽がきらきらと反射していた。

 

 

旅立ちの朝。同じ建物に賃貸で住んでいたオーストラリア人、ブレイクが、職場のフィッシュ・ファーム(魚の養殖場)でバラマンディという魚を釣らせてあげるよ、と前の日に提案してくれていて、まだ暗い早朝のうちから向かう。

 

海の見えるような立地なのかな、と思いきや実際は川の近く。養殖場自体は陸の中にあり、ため池のような四角い池がいくつも整然と並んでいるところだった。私が釣り上げるまで、いくつか場所を変えながら回ってくれるブレイク。皆、なぜこんなに親切なのだろう。ああ自分も、旅人に親切な人間でいよう。

 

早朝からそんなことに頭を巡らせながら、「おっ!」と釣り上げたバラマンディ。ブレイクが持つと軽々持っているように見えるのに、持たせてもらうとツルツルすべって意外に重く、彼のように持てない。「写真とるから!」と気づかってくれるブレイクの期待に応えて、なんとか一瞬持ちこたえ、バラマンディはもとの池へと放す。有り難いなぁ、みんな。

 

家へ戻り、ようやくかなり板についてきた相棒のバックパックへ荷物を詰め込み、旅支度を整えて出発のときを待つ。長旅に備えて、ヘザーがいつものランチと同じサンドイッチを持たせてくれた。「これが昼の分で、これが夜の分ね」。

 

感謝ばかりが、どんどんと積もってゆく。

 

印象的だった、フォグ・ダムの夕暮れ
印象的だった、フォグ・ダムの夕暮れ