# 旅の終わりに

色々な土地を訪れて、一番印象に残ったことは?とよく聞かれるけれど、答えるのは難しい。それぞれの土地が持つ気候や景色が、そこに住む家族が、どこも本当に個性的で、私の小さな世界をそれぞれ違った方向へぐいぐいと広げていってくれた。

 

 

また、その異なる暮らしの中でも、私が訪れたすべての世帯では自分たちの雨水タンクを持ち、そこから水を引いていて、この乾燥大陸で国土全体に根付いた水への意識を学んだりもした。

 

生ゴミは鶏や犬の餌にしたり、コンポストで肥料にしたりするというのが、一部の特別なことではなく、WWOOFを受け入れるような郊外であればどの家庭でも当然のしくみになっている。

 

一方で、現地の家庭で食事をともにするたびに「いただきます」「ごちそうさま」という日本人としては当然の挨拶の大切さも痛感してきた。そういう小さな気づきは、たくさんあった。

 

もちろん、ここに書いてきたことはほんの一部で、長い時間一緒に暮らし働いていれば、ささいなトラブルはどの場所でもあるもの。それは、本当の家族だってそう。たぶん、誰かと暮らすってそういうことだ。

 

「お客さん」気分で何から何までやってもらいたい人には、WWOOFは向いていないと思う。でも、現地の暮らしに自分から参加してみたい、という気持ちのある人ならば、これはうってつけの仕組みだと思っている。

 

もちろん、べつにWWOOFじゃなくたっていい。行き当たりばったりで地元の人に溶け込める旅の達人だっているだろうし、オーストラリアの田舎出身の友人がいるなら、そこを訪ねるにこしたことはないだろう。

 

どんな方法でもいい。とりあえず、大陸は広い。そして、都市部だけを点々と観光するなら、その景色はそれほど変わらない。私は今でもシドニーが大好きだけれど、東京=日本ではないように、シドニー=オーストラリア、でもない。

 

どこかの国をもう1歩、知りたいなら、ちょっと時間をかけながら、土地の空気を吸って吐いて、遊牧してみたらいいんじゃないか、そう思うだけなのだ。

 

アデレード市内から空港へ向かうバスに乗りながら、そんなふうに、この4ヵ月のことを思い返していた。ああ、この遊牧生活もとうとう終わりか…と少々感慨にひたる私。

 

ふと、手に握ったバスチケットに目をやると、“Every ending is a new beginning.”の文字。心を見透かされたようで、ドキッとする。

 

やってくれるわ、オーストラリア。